ZINE「ラクダの鼻息」
Seven Eleven Fun ClubのZINE「ラクダの鼻息」
創刊号
date
2020/09/01発売開始
contents
Seven Eleven Fun ClubのZINE「ラクダの鼻息」の第一号。 A4サイズの28ページ。
- ポケットの中 西邑 匡弘
- 写真11枚+ステートメント
- 真夏の神経衰弱 橋本 光広
- 短歌14首
- 僕の食歴遡行記 首藤 伸生
- 写真1枚+食についてのエッセイ
- 眩しい人間図鑑 高谷 誉
- 写真家「西邑 匡弘」についてのエッセイ
- こちらで試し読みができます
- 彼女は髪を染めたことがない 新藤 早代
- 写真1枚+「Hちゃん」についてのエッセイ
- 表紙デザイン:百武凌太
販売について
手売り
メンバーから直接購入可能(1000円)
BASE
オンラインで購入できます(送料込み1400円)
オンラインショップはこちら
店舗販売
都内の本屋でも購入できます(税込み1100円)
サンブックス浜田山店@浜田山
メンバーの首藤がバイトしている街の本屋さんです!
住所:東京都杉並区浜田山3-30-5
HP: http://www.tokyo-shoten.or.jp/seinenbu/shop/tokyo/2864
Instagram: @sanbooks_hamadayama
BASARA BOOKS@吉祥寺
吉祥寺駅すぐの、メンバー行きつけの古本屋さんです!
住所:180-0003 東京都武蔵野市吉祥寺南町1丁目-5-2 吉祥寺サウスビル101
HP: http://basarabook.blog.shinobi.jp/
Twitter: @basarabooks
百年@吉祥寺
行くといつも新しい出会いがある古本屋です。ユニークなZINEや新刊も置いてあります。
住所:〒180-0004 東京都武蔵野市吉祥寺本町2丁目2−10 村田ビル 2F
HP: [http://www.100hyakunen.com/)
Twitter: @100hyakunen
ロカンタン@西荻窪
映画批評家の荻野さんが経営している本屋。映画関連の古本やニッチなZINEなど、ここでしか買えないものを見つけにくるところです。
住所:167-0053 東京都杉並区西荻南2-10-10 KUビル102
HP: [https://www.roquentin.tokyo/)
Twitter: @roquentin_books
エルエフルング@西荻窪
西荻出てすぐの立ち飲み屋です。美味しいお酒とフードが楽しめます!
住所:〒167-0053 東京都杉並区西荻南3丁目11−5
Twitter: @eruefurung
LFR@新代田/世田谷代田/下北
飲み屋とレコード屋があるイベント空間です!
住所:155-0033 東京都世田谷区代田5丁目28−3
HP: [http://listenandfood.red/)
Twitter: @likeafoolrec
試し読みコーナー
高谷が書いた「眩しい人間図鑑」より、序盤部分を公開します。
練馬区光ヶ丘団地の住人が亡くなって間もないある部屋で、西邑は「比嘉敦子」と書いてある名前シールの貼られたフィルムカメラを拾いました。
その時僕と西邑は、死んだ人の家を片付ける日雇いのバイトをしているところでした。部屋に残されたゴミや家具を全てまとめてトラックに積み込み、部屋を空っぽにするまでが僕たちの仕事です。
「まあまあ楽なことの方が多いし、ワンチャンなんかゲットできる」と先に始めていた西邑に誘われたのは、今から二年前(二〇一七年)だったと思います。その仕事を斡旋している三十過ぎの男はかなり胡散臭い成金で、ある現場終わり、日高屋で飯を奢ってもらったときは「金が男の価値を決める」的な成功者トークを聞かされたりしました。結局、僕はその光が丘の現場の後、もうその派遣には行かなくなりました。その半年後くらいに辞めた西邑に言わせると、どうやらその斡旋していた男は金目のものや現金が「発掘」されるのも半分目当てにしていたようです。ちなみに、西邑がカメラをゲットしたその日、僕は両手に抱えてやっと持てるサイズのルノワールの偽物をゲットしました。家に飾ろうと思って持ち帰っていたのですが、京王線で座って寝ている間に置き引きされてしまいました。
一方西邑は、そのフィルムカメラを拾ったことをきっかけに、写真をたくさん撮るようになりました。
これは、最近町の中やライブハウスで写真を撮っている西邑という僕の友人について書いた文章です。彼は僕の十年来の友人で、そのカメラを拾った派遣のバイトをしていた頃を含めた二年間、ルームシェアをして一緒に住んでいました。この西邑というやつはだいたい三年ごとくらいにやりたいことが変わっていて、高校から大学の三年くらいまではバンド、一緒に住み始めた四年からの二年間は映画(私設の映画学校に行っていました)、そして直近の二年間、大学卒業しフリーターをしている現在は写真を撮りまくっています。最近はライブハウスや、友達の家、街の中、旅先、いろいろな場所で、主に人を撮っています。もしあなたが井の頭公園を歩いているときに、のっぽでガています。もしあなたが井の頭公園を歩いているときに、のっぽでガチャ歯でロン毛でフィルムカメラを持ってる若い男を見かけたら、それが西邑です。
僕はこれまでずっと写真に興味がありませんでした。西邑が写真を撮り始めてからもしばらく。なぜかというと、写真が「今ここ」で生まれようとしてるかけがえのない瞬間の影、現実に対して二次的なものとしか思えなかったからです。西邑が僕たちの日常をやたらめったらと写真を撮り始めた時も(森山大道っていう人が「写真は数撮らなあかん」的なことを言っていたらしい)、めんどくさいなあ、会話のリズム崩れるなあ、いまここをもっと楽しもうや、と思ってました。けれども、(西邑も僕も)金がない中、身銭を切ってフィルムを現像したり、ついには写真展に参加(註1)してるのをみて、そんなにやるくらいだから、なんか面白いことがあるのかなあとちょっと興味が湧いてきました。
だから、この文章を書いてます。
ここからは僕が西邑の写真について考えたこと、そして僕自身が写真について考えたことを書いていきます。もちろん、そこそこの付き合いだからといって西邑の考えていることなんてあんまり分からないですし、ましてや代弁する気もないので、ここでは僕が彼の写真活動について好き勝手書いている、ということをご了承ください。
西邑に「写真について文章を書きたい」と言ったとき、ホンマタカシの「楽しい写真」と言う本を渡されました。その本は、写真というメディアの歴史を割と丁寧に紹介してくれる良い入門書でした。僕は写真について全く無知だったのですが、この本でなんとなく歴史が整理されました。 すごく簡単にまとめてみます。
まず、その本では写真の歴史を「決定的瞬間」と「ニューカラー」の二つの大きな派閥に対立させて論を進めています。「決定的瞬間」では、写真というメディアの初期にできた美学で、アート系のブレッソンや報道系のキャパの写真における瞬間性、一回性の優位を強調しています。演劇/パフォーマンス好きは、一回性というタームにはっとさせられました(演劇は一回性を持つ出来事と反復が共存するメディアだと思っています)。
対して「ニューカラー」は、バチッと決まった構図を写真に収めるものです。写真が絵画の代替として登場したことを踏まえると、そういった価値もあるんだろうなあと思います。それを読んだ頃は、「ニューカラー」にはあまり惹かれず、どちらかというと「決定的瞬間」派でした。
西邑の写真について先に書いた方がいい気がしてきました。
西邑は、初め盗撮のような写真を撮りまくっていました。街ですれ違った変なおっさん、おばはん、そんな人を盗撮しつつ、友達と過ごしている中で「決定的瞬間」をパシャパシャやりながら「あー、これ絶対ええわ」「愛せるわあ」とか言ってました。ずっとフィルムで撮っているので、現像して初めてどんな写真だったか分かるというメディア特性も楽しんでいたように思います。多分それは今でも。その頃は一緒に住んでたので、現像から上がった写真を見せてもらって僕は「おーええやん」とか言ってたと思います。
けれど、しばらくすると「なんかやっぱその人に入っていった方がいい写真撮れんねんなあ」と言いだしました。そんな違うもんかなあ、とその時の僕は思っていましたけど。ともかく、西邑は街の中で彼のセンサーが反応した人に話しかけて、しばらく会話してから写真を撮るようになりました。彼の「愛せる」という基準の性質のせいか、この頃の写真はおじいちゃんやおばあちゃんが多いです。話かけられた人の心情は「うわ、変なやつに話しかけられた」って感じなんじゃないでしょうか。もともと初対面でもグイグイいけるタイプなのも手伝ってか、西邑はどんどん街で見知らぬ人に声をかけ、写真を撮るようになりました。
このころ撮影に至るまでのプロセスに変化はあったようなのですが、彼の中には一貫してある快楽があるようでした。彼が参加した、彼にとって初めての写真展を見に行った時、彼は「ポケモン図鑑集めるみたいに、おもろいやつを集めたいねん」と言っていました。僕はその展示を見て、「ああ、こいつは世界から愛せる部分を引き抜いてきて、世界を再構築してるんやなあ」と思っていました。それを彼は「図鑑集め」と言います。
僕は、西邑がカメラと撮れた写真を使って、「今ここ」のこの世界とは違うルールの世界をこの世界に既にある素材を使って構築していると思っています。ここでいう「世界」は人間の「食う、寝る、やる」の欲求よりも長持ちするものの領域、例えば建物や椅子だけの領域のイメージです。そして、その西邑の世界の中での遊び方は、彼がもともとやっていたグラフィティに近いと感じました。生活するためだけの街を、自分たちの遊び場として定義する、グラフィティは彼の写真を撮る目的と連続しているんじゃないかと思います。その点ではスケボーもかなり似ていると思います(西邑は高校の時スケボーもやっていたけど、基本的に身体能力が低いのでもうやっていないようです)。
続きは本編をご確認ください!