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|演劇,髙谷

AAF戯曲賞2020落選記

AAF戯曲賞という、愛知県の劇場が主宰する新人向けの劇作賞があります。

その2020年度の選考で、高谷の応募作が最終まで残り、昨日他の作品が受賞しました。つまり自分は落選しました。結果や最終選考作品については上記のリンクを参照してください。

例年最終選考は公開で審査されており、今回もある程度通常通りに開催されたので、自分は名古屋まで行って会場ですべて見ていました。なにか賞にひっかかったらひつまぶしでも食べようと思っていましたが、なにもなかったので結局矢場とんの味噌カツだけ食べた名古屋小旅行になりました。帰りの新幹線の中で、公開審査の感想をまとめておこうと思いたちました。

公開審査の感想

まず前提として自分は今回の審査に特に異論はありません。また、受賞作を含めた他の候補作どれも面白いと思いました。それぞれの戯曲への審査の内容も的確だったと思います。なので他の受賞作の内容や審査についてはここでは触れませんが、特に大賞作「リンチ(戯曲)」はご一読をお勧めしておきます。

なので自分の戯曲「犀言語」についての審査内容だけまとめます。4時間の審査の中で概ね下のような講評があったと思います。それぞれについてコメントしていきます。

  1. 仏教的なバックグラウンドを持っているのは面白いと思った
  2. 奇妙な文体だと思った。セリフっぽさもある
  3. 形式上、より分量があるとミッシングリンクが立ち上ってくると思った
  4. 作者の言いたいことが全て書かれてあって(演出家として)窮屈に感じた
  5. 青臭い
  6. 概要に書いてある「連帯」が見えてこない
  7. 描かれている「疎外」の質が限定的すぎる
  8. 最後の章ででてくる「普通」がのんきというか雑
  9. 戯曲というよりは小説ではないか

1. 仏教的なバックグラウンドを持っているのは面白いと思った

「概要」というは応募時に審査作を要約したもので、そこに自分はリンク先のように書いています。

「犀の角」で有名な経典をモチーフに作った作品でした。このテーマについては6で後述します。

2. 奇妙な文体だと思った。セリフっぽさもある

口語と文語の間の、なにか違う文体、経典のような口伝されて書き言葉になったもの、のような文体を目指していたのでちょっと嬉しかったです。それは引き続きブラッシュアップしていこうと思っています。

3. 形式上、より分量があるとミッシングリンクが立ち上ってくると思った

体力不足でした。おっしゃる通りだと思います。 講評でも「作家の中のものしか根拠にしていないからこの分量しか書けないのでは」と指摘されていて、まさにその通りで、自分の想像力だけではこれが限界でした。 中上健次の「熊野集」のように、取材先を自分でも設定できればもっと書けたと思います。

4. 作者の言いたいことが全て書かれてあって(演出家として)窮屈に感じた

5. 青臭い

これらについては、内面だけを書こうと決めていたので仕方ないのかなとも思っています。ただ「青臭い」と感じさせる未熟さは絶対にあると思うので、量書いて上手くなるしかないのかなと思ってます。

6. 概要に書いてある「連帯」が見えてこない

7. 描かれている「疎外」の質が限定的すぎる

概要に書ききれなかったことをここに書いておきます。

「犀の章」では1行だけ、「彼と共にあゆめ」という行がある。これは釈迦が教団生活を送っていたことから、やはり活動組織での連帯が悟りのためには必要であることを示唆している。悟りとは、外部への脱出に置き換えられると思う。今生きていて、自分の世代に対して思うのは、内面の過剰な肥大、あるいはaudipod的母胎への退行だ。そのように消費者として分断され、分かり合えなくなっている私たちが、いかに連帯できるのか。その疎外を徹底させた上で、連帯のための言語を模索するために執筆した。

どういうものが「連帯」なのか、「疎外」なのか、という話なのかと思ったので一応書いておきます。僕はラディカルな政治運動の可能性を信じています。

これも3, 4と同じく他者性をもっと徹底させないと意味がなかったのだなと今になって思いますし、多分自分のなかで運動の主体がなんなのかがまだはっきりしていないのも弱点でした。もっと勉強します。

8.最後の章ででてくる「普通」がのんきというか雑

審査会では「現代の演出家は『普通』への挑戦をしている。ある意味古典通りに王様をかいているのと同じだ」と指摘されました。ぐうの音もでません。精進します。

9.戯曲というよりは小説ではないか

「VRっぽい」という指摘もありました。これは他の人にも言われたことがあってやっぱりそうなのかなとも思いました。 自分としては、作中の4人が同じ空間にあることによってはじめて意味があると思っていたので、これはもう自分で上演するしかないんだなと思いました。

結論

犀言語を上演します。作品の質を上げるためにも、稽古場で揉んで公開する過程がこの作品にも自分にも必要だと思いました。今年中のどこかでやるので興味があればきてください。

それではもう品川なので。